席に座ると、店のスタッフのおばちゃんに聞かれることは一つだけだ。
「何人分?」
ソウル市東大門の「タッカンマリ通り」にある店舗でのことだ。確かにメニュー表には「参鶏湯(サムゲタン)」といった別メニューも書かれているが、ここではタッカンマリを食べることが「当たり前すぎること」。だからそうとしか聞かれない。
鶏の出汁がにじみ出たスープからまずすくい上げるべきは、細長く切られたモチ。表面はツルッとしていて、それでいてほどよい噛み心地。食べどきを逃してはならない。
ジャガイモは箸で割れるほどに柔らかく、ホクホクに仕上がっている。
これらを突いていると、やがて店のおばちゃんが声をかけてくる。
「召し上がってもいいですよ」
”鶏肉GO”のサインだ。自分たちの料理は”こうすればおいしい”という確固たるやり方がある。これを勧めることこそがサービス。韓国スタイルだ。
そうやってたどり着くメインの鶏は、ガブッとかぶりつけるサイズに切られていて、絶妙なかみごたえに思わずうなる。
これらを絡めるソースがまた絶品。韓国しょうゆに酢、そこにニラとコチュジャンと辛子を少々。鍋からすくい上げた具に絡みついたスープと混ざるとまた違う味わいを生み出す。
〆は圧倒的にカルグクス(麺)がオススメ。細長の麺は“アルデンテ”よし、煮込んでもよし。麺から出たエキスが鍋のスープと混じり、これまた別の風味がたまらない――。
個人的には1997年の留学時にこの味を知った。その後、30年近くにわたって幾多の日本人の仕事仲間、友人を連れて行ったが、これが100%なのだ。
外さない。
美味しいと言ってくれる。帰国後に「またあの鶏鍋屋行こう」「あれどうやって作るの?」と声をかけられることも。それくらいスゴい東大門のタッカンマリ。直訳すると「鶏一羽」。〆のカルグクスまでがセットのソウル生まれのソウル料理なのだ。
今はなきバスターミナルの”名残り”
こうやって日本でこの文章を記しているときにもまた思う。ああ食べたいな。
ソウルの古い路地裏という立地条件がまた、鍋を囲むひとときを際立たせる。新旧10店舗ほどが軒を連ねる通りではそれぞれが「元祖」の看板を掲げ、オリジナルの味付けを誇る。
1990年代までは「こんなところ日本人は来ないよな」と話していたものだが、2010年代の手前頃に日本の地上波で取り上げられて以来、すっかり有名になった。一時は客の3分の1が日本人、ということもあったという。
この東大門のタッカンマリの生き証人、アン・ボクスンさん(67歳)がこう語る。
「この地域で、私の母が鶏肉のカルグクスの商売を始め、酒のつまみにタッカンマリも出すようになりました。1970年代のことです」
これがまず、東大門市場で働く人たちの話題になった。
それが“外から来た人たち”の間にも話題となっていく。今はなき「東大門高速バスターミナル」で乗り降りする客の間でも人気となっていたのだ。東大門バスターミナルは、カンナム地域にターミナルが出来る前までは韓国内の交通の要所でもあった。
当然のごとく忙しい人たちだ。あらかじめゆでた鶏肉をスープで最後にひと煮立ちにしてサッとして、一杯やる。スピードに対応できたのも大流行した背景にある。
「タッカンマリ(鶏一羽)」の名称の由来には2つの説がある。
1つ目は鶏鍋を頼むのに「一羽くれ」と手っ取り早く言い始めたことから「タッカンマリ」の名称がついたというもの。あるいは、鶏1羽をゆで、白いスープで食した後で麺をゆでてそれも楽しむ。「まるまる完全に食べる」という意味が由来とする説もある。
もはや日本人観光客の間でも有名スポットの「東大門のタッカンマリ通り」。ちょっと背景を知って食べると、また違った味わいも楽しめるというものだ。
文=吉崎エイジーニョ(編集長)