2010年代のK-POPアイドルは何を思って活動してきたのか。
今年は2010年にKARA・少女時代に始まる日本での第2次K-POPブームが始まって15年。
少し過去を振り返る時代にもなっている。
SUVIN(スビン)が所属したDal★Shabetは、2011年から17年まで活動した6人組のガールズグループ。少女時代の「Gee」など手掛けた作曲家E-tribeのプロデュースでも知られた。2011年には、「第19回大韓民国文化芸能大賞」にて「アイドル音楽最優秀賞」、「第26回ゴールデンディスク賞」で新人賞受賞などの経歴がある。また2015年には日本デビューも果たし、大手レーベルを通じての活動も行った。
当時、マンネ(メンバーのなかでの末っ子)として活動したスビンは今、DJとして国内外を駆け回る日々を過ごす。
彼女は、自身のアイドル時代を振り返って何を思うのか。
業界の舞台裏、順位への執着から楽曲制作への関与まで、知られざる実情とは? 原語でインタビューを敢行。赤裸々に語ってもらった。
取材・文=吉崎エイジーニョ(編集長)
SUVIN 韓国出身のDJ・音楽プロデューサー。2011年にガールズグループDal★Shabetのメンバーとしてデビューし、メインボーカルとして活動を続けるなかで、ソロアーティストとしても数々の楽曲をリリースしてきた。自ら作詞・作曲を手がけるなど音楽的なバックグラウンドを持ち、2023年よりDJ SUVINの名義でクラブや音楽フェスティバルに出演。DJとしての活動を本格的にスタートさせた。 EDMを軸に、ハウス、テクノ、フューチャーベースなど幅広いジャンルを自在にミックスし、歌手として培った感性と表現力を活かした独自のスタイルで注目を集めている。2025年には新たなEDMガールズグループ「OSDS」に参加し、リーダー兼プロデューサーとしても活動を展開。ステージ演出や音楽制作にも深く関わり、アーティストとして多彩な才能を発揮している。
ーそもそも、なぜアイドルになろうと思ったのですか?
私は子供のころ、ずっとアイドルになるんだと信じていました。当然なるんだと。光州の田舎の少女だったんですが、当時は東方神起の先輩方とBoAの先輩がとても有名だったんです。でも、私たちの小学校の講堂があったんですが、私がいつかアイドルになって、この講堂で私は東方神起先輩とBoA先輩と一緒に公演をすることになるだろうと毎日夢を見ていました。また、歌は子ども時代の私の重要なストレス解消法でもありました。
私、長女だったんです。そのために少しだけ感じていたストレスも、歌で解決しました。
いっぽうで勉強もできる方だったので家族は私に勉強の方に進んでほしかったようですが…今になって思うのは、人生は正しいか間違いかで道を進むのではなく、好きか嫌いかで進むべきということですね。
ー音楽が好きで2011年にデビュー。「どんな楽曲をやるのか」「どんなコンセプトでやるのか」といった点のメンバー本人たちの決定権がどれほどだったのでしょうか。
新人の時はそんな決定権ありません。無条件に会社が進みたい方向でレコーディングします。でも3作目のアルバムの頃からは、自分たちの意見がたくさん反映されていきました。アルバムを作る際に、まずは多くの曲が集まるのですが「どんな曲を収録するか」「この曲をタイトル曲にしよう」といった意見が反映されていきます。私は特に音楽が好きなので、3作目からは作曲にも加わることができました。
ーDal★Shabetは7年間の活動で、韓国音楽番組で1位を獲得することがありませんでした。本人たちは、音楽番組での順位を気にしていましたか?
気にかけてはいました。それ以上に会社が気にかけていましたが、私たちも気にかけていたと思います。”自分がどれほど一生懸命やったのか”について、本来は誰かに尺度を決められるものでもないと思うのですが…私たちは結果(ランキング)としてそれが公表されれます。さらに当時は、今よりも順位がとても重要だった時代でした。毎日毎週3回4回ずつ、木金土日、いつも順位をつけて、誰かが1位になり、誰かはそうでなくて悲しむ。それが染み付いたのは、ある意味悪い習慣だったのかもしれません。他グループについて、誰が上がって、誰が下がったという視点で見る。時に私はそれを見て少し慰めを得ていた面もありました。
ー順位争い、といえば「他のグループとのカムバック時期が被った」という話は日本でもよく聞きます。他のグループのカムバック時期を気にしていましたか?
私は正直、そこまでは気にしなかったんですが、会社が気を払っていました。でも、どうやったって、ガールグループたちが楽曲をリリースするシーズンは似通ってきます。なぜなら、季節などのイベントシーズンに合わせてアルバムを出さなければならないからです。私たちメンバーにとっては音楽は芸術かもしれませんが、会社の立場とすればミュージックビジネス。その曲で稼げる一番良い時期に曲を出さなければならないんです。
ーガールズグループの場合「大型の男性グループとカムバック時期が重なったら1位争いの勝負が大変」といった面もあるようです。現場のアイドルとしてどう見ていましたか?
私は、それも気にしませんでしたね。男性アイドルまでは気にかけなかったです。なぜなら彼らとカムバック時期が重なることで、私たちのファンが、男性グループに移るというのはありえなかったからです。女性グループ同士だとそれがありえますよね。だから、私たちの中では同世代の女性グループをより牽制していました。
ー韓国の現場を取材していると「月曜日にショーケース(新曲発表)をやって、その週から音楽番組から本格活動開始」というパターンが多いようです。で、ショーケースが終わって何をやってるんですか?
ショーケース終われば無条件に家に帰ります。家に帰って、倒れるように寝ます。そこまでかなりレッスンを重ねるものなので。でも新人の時は、違います。ショーケースが終わってすぐにまた練習です。ショーケースで足りなかった部分を、時に厳しくフィードバック受けます。ショーケースが月曜日じゃない場合は、すぐに音楽番組出演することもあります。ショーケース後に練習室で夜中2時まで練習して、それからすぐに3〜4時頃にヘアメイクさんのところに行って、テレビ局に出発して、”出勤”の絵を撮って、それからドライリハーサルして、事前録画して、それから食事して寝る…そんな感じです。
—韓国の音楽番組って、番組ごとにカメラワークがかなり違うとか。
完全に違います。曜日、カメラ、照明、舞台、観客席制限、カメラワークまで全部違うんです。それで放送ごとに衣装の色も番組に応じて決めます。「ミュージックバンク」はぼやけて映るし舞台が大きいので原色系、「人気歌謡」は美しく映るのでホワイトカラー、「Mカウントダウン」は暗く映りがちなのでダークカラーやスパンコール・革など素材感のあるもの、「音楽中心」は照明が強すぎて化粧を3倍濃くする必要がありました。先ほどの話になりますが、朝3〜4時にヘアメイク、7時にドライリハーサル、その後また本番用メイクで、終了が夜7〜8時。舞台直前までメイク・衣装に修正を続ける、そんな一日でした。
ーマネージャーとの関係はどうでしたか? 怖いんですか?
現場マネージャー(ロードマネージャー)は、 まるでメンバーの一員でした。同じスケジュールを消化するので。まるで家族。トイレ以外は一緒に行く。Dal★Shabetの場合は、現場マネージャーにはそんなに怒られませんでした。とても可愛がってもらいながら育ててもらった印象です。食べたいもの食べて、良いところで寝て、寮も清潔で良いところで住んでいました。
ーご本人は18歳でデビュー。当時としては若い時期のスタートでした。いま振り返ってどんなことを思いますか?
自我が形成されていない時から始めるわけです。だから大衆(多くの人たち)が好きなことが、私にとっても好きなことだと勘違いする時があったように思います。例えば、私が17歳の時にインタビューを受けたとします。よくある質問として「どんな食べ物が好きですか?」と聞かれます。でも私は自分が何が好きなのかなど、あまり考えたことがない。
当時のアイドルの模範回答は「最近みんな麻辣(マーラー)が好きらしいので、私もそれが好きです」といったものでした。私が私自身として答えるのではなく、「大衆の物差しで話す」ということがありましたね。そうすると「自分自身が何者なのか」を自分で気づくまでが遅くなるように思います。アイドル以外の人たちよりは。だからこそ、自分自身で勇気をもって自分が何者なのかを悟っていく。好きな仕事を後悔なく続けるには、それが重要なように思います。そうでなければ、周囲に引きずられていくことになると思います。職業の特性上。
ー最後に、最近の第4世代や第5世代のK-POPアイドルを見ていて思うことは?
私たちの時代よりも、より各自の特性が尊重されていると感じます。だっていわゆる「ガルクラ」の歌詞の柱のひとつは「自分が自分であること」じゃないですか。時代的にも、ある意味自分自身が重要な時代になっています。アイドルたちがそんな、ある意味社会的文化の中心になっています。それは当然の流れだと思いますね。
韓国語でのインタビュー。本人に開始前に「できるだけぶっちゃけてほしい」と申し出たところ…本当に隅々まで話してくれた。自らのアイドル時代のちょっとした後悔もいま、DJとして活動する原動力になっているのではないか。そんなことを感じさせた。
写真提供=SUVIN