DJに大転身した元K-POPアイドル SUVINが肌で感じる「BIGBANGの偉大さ」

今年は日本で2010年に第2次K-POPブームが起きて15年を迎える。

韓国ではその間、アイドルたちの世代が次代へと繋がり、2010年代当時のメンバーたちが新たなステージに活躍の場を移す存在も出てきている。

SUVINは、2011年から17年まで「Dal★Shabet」の一員として活動後、現在は元K-POPアイドルのDJとして欧州・アジアから引っ張りだこの存在となっている。

過去を振り返って何を思うのか。

「あの頃のK-POPアイドルはいま 第2のキャリアの決断」の連続シリーズ第1弾として、直接本人に原語で話を聞いた。日本語に訳したものを紹介する。

SUVIN 韓国出身のDJ・音楽プロデューサー。2011年にガールズグループDal★Shabetのメンバーとしてデビューし、メインボーカルとして活動を続けるなかで、ソロアーティストとしても数々の楽曲をリリースしてきた。自ら作詞・作曲を手がけるなど音楽的なバックグラウンドを持ち、2023年よりDJ SUVINの名義でクラブや音楽フェスティバルに出演。DJとしての活動を本格的にスタートさせた。 EDMを軸に、ハウス、テクノ、フューチャーベースなど幅広いジャンルを自在にミックスし、歌手として培った感性と表現力を活かした独自のスタイルで注目を集めている。2025年には新たなEDMガールズグループ「OSDS」に参加し、リーダー兼プロデューサーとしても活動を展開。ステージ演出や音楽制作にも深く関わり、アーティストとして多彩な才能を発揮している。

アイドル時代の思い「言われるがまま」という面はあった

K-POPアイドルのセカンドキャリアといえば、俳優のイメージも強い方も多いのではないでしょうか。私はそういったなかでDJという道を選びました。

2011年から17年まで活動したDal★Shabetの時代には、日本でもツアーの経験があります。日本のシステムというのが当時私には新鮮でしたね。公演をした後、ファンミーティングをします。つまり、ちょっとメイクなどが“美しくない”状態でファンの皆さんにお会いするのです。にもかかわらず私たちを迎えてくださって、幸せでした。

私は子供のころ、ずっとアイドルになるんだと信じていました。当然なるんだと。光州の田舎の少女だったんですが、当時は東方神起の先輩方とBoAの先輩がとても有名だったんです。でも、私たちの小学校の講堂があったんですが、私がいつかアイドルになって、この講堂で私は東方神起先輩とBoA先輩と一緒に公演をすることになるだろうと毎日夢を見ていました。また、歌は子ども時代の私の重要なストレス解消法でもありました。
私、長女だったんです。そのために少しだけ感じていたストレスも、歌で解決しました。
いっぽうで勉強もできる方だったので家族は私に勉強の方に進んでほしかったようですが…今になって思うのは、人生は正しいか間違いかで道を進むのではなく、好きか嫌いかで進むべきということですね。

本人の別インタビュー:【本人激白】元K-POPメンバーのDJが”今だから話せる” 「2010年代韓国アイドル業界の舞台裏と本音」(韓国トレンド研究所)

今考えてみると、私はとても若い時期にデビューしたと思います。2011年の時には18歳でした。練習生も短く、ただただ音楽が好きで始めた仕事なのですが、何が何だか分からないままに過ごしていました。若い時期は自分がどうあるべきかもっと悟るべきだったと思ってもいます。私たちがアイドルだった時代は、作られるまま、言われるままという面がありました。イメージメイキングを私の主導権の下でできなかったということは少し残念な面もあります。

2017年に事務所を移籍して、K-POPアイドルグループとしての活動をひとまず終了しました。2011年デビューだったので「魔の7年」といわれる時期を迎え、グループを続けるのか、それともソロ活動をするのか、こういうことを決定することになるんですが、私たちの場合はそれぞれソロの道を歩くことにしたんです。

私は音楽がとても好きで、Dal★Shabet時代からもグループの歌だけでなく、私の歌も立て続けに出していたので、私の名前を掲げたレーベルを作って直接音楽を続けて流通してみようと思いました。

ステージ出演の機会で感じた「やはりこれをやろう」

そんな折、2021年にウォーターボム(音楽と水遊びが融合した大型音楽フェスティバル)に参加することになったのです。歌手としての機会を得たのでした。

でも、私には当時、多くの方々の前で歌えそうなオリジナルの歌がなかったのです。

すべての楽曲がマイナーすぎて。それで、私の歌をどうすれば多くの方がいる前で披露できるのかと考えて、リミックスを始めました。

その時一緒に作業することになったDJの方々と親しくなりつつ、ああ「K-POPをこのようにリミックスできるんだな」と感じたものです。

そして、こうやってリミックスされたものがフェスティバルで流れた時、EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)ラバーたちがとても好むんだなということを、その時悟ったと思います。

元々、私はEDMが本当に好きでした。小学校の時からスクリレックスとか、David Guettaとかを好んでいました。

DJへの転身を決心したのも、「やってみて好きになった」というよりは、実際に自分自身が小学生の頃から好きだったという流れのほうが大きかったと思います。

DJに挑戦した当初は、実はものすごい先入観で見られていたと思います。「アイドル出身のスビンがなぜDJをやるのか」と。なぜなら韓国ではDJというイメージが、外国で感じられるように何かアーティストとして見られるというよりは、もう少しアンダーな感じがあるので。

私自身、音楽をとても愛しているからこそ始めた仕事ですが、スビンがセクシーなイメージで、ただステージ上のセクシーな露出で行くんだろうなというイメージもかなり多かったと思います。そしてDJシーンの中でも嫉妬がとても激しかったです。

でも、実際のところ私は音楽にとても長い間取り組んできたし、彼らと対立する理由がありませんでした。むしろもっと早く親しくなりたかったし、もっと話を聞きたかったし、もっとたくさん学びたくて、本当に底辺のようなステイタスから第2のキャリアを始めました。

魚市場だとかトラックの上のような場所でもDJをやりながら、1~2年を過ごしたのです。苦しかったけど、成長できた時間でした。

観客の年齢層の高い会場で感じる「このグループの楽曲は鉄板」

今は、この仕事に完全に夢中になっています。私がハマることができた理由が何かというと、アイドル時代はステージに立つと、自分たちの歌を改めて紹介しなければなりませんでした。お客さんを「説得」しなければならなくて、何かかっこよく見せなければならないという負担があったんです。

でもDJはもっと直感的です。ただ「今日は一緒に遊ぼう…私が本当に楽しくするから」という関係ですよね。お客さんとの間に細かい利害関係がありません。シンプルなのです。

これってとってもかっこいい関係だと思うんです。私は、このために15年間音楽に取り組んできたんだな、と思えるくらいです。

最近では、海外での公演での機会をいただくことも多いです。ややもすればその場では「韓国を代表する」という考えも持って臨んでいます。1時間ほどのステージでも、一番反応が良い歌がK-POPなんです。つまり、韓国の歌は本当に愛されているのです。この人気が下がらないようにしたいという重大な責任感があります。

最初にヨーロッパで機会をいただいた際には「実際のアイドルK-POP出身のDJの公演を見たいという」ということで、オファーをいただいたので、その思いは強いですね。

海外と合わせ、韓国内でも様々な会場での機会をいただいています。それこそ、お父さんお母さん世代が多い地方の会場に行くこともあります。

そこで私が感じるのはBIGBANGの偉大さです。本当に老若男女が彼らの曲を知っていて、喜んでくれるんです。特に「Sunset Glow」は、本当にどこに行っても反応がよくて。

BIGBANG、そしてG-DRAGON、もう一ついうのであれば2NE1の楽曲は、韓国であれ世界であれ「1位」ですね。私が最近、不思議に感じるのは、BTSとBLACKPINKがある意味では国内外でK-POP産業の成長をとても大きいものにしたと記録的には残っているじゃないですか。でも、私が肌で感じるのは、その以前にBIGBANGと2NE1がいたからこそ、続くグループが存在するということです。現場で感じる限り、本当に越えられない壁です。その歌を好きでいる方々の数がもうケタ違いという感じです。

過去は変えられる 今の自分のありようで 私はそう思っています

DJとして一番大変なのは、とにかくトレンドに敏感でなければならないこと。音楽もたくさん出てくるし、最近はリールやショーツでもどんどんトレンドが変わっていくでしょう?本当に1〜2ヶ月、早いときは1〜2週間のペースで。でも、そういうのが全部EDMのソースになるんです。だから常に敏感に反応して、そこから自分なりの作品を作っていかなければならない。本当に深刻に疲れる職業です。

すごく疲れるし、大変。ただプレイするだけのDJもいるけれど、私みたいに直接プロデュースもするDJは、本当に寝る時間がないくらい忙しいです。本当にこの仕事を好きな人じゃないとできないと思います。私なんて一日中音楽を聞いていても幸せだし、朝目を覚ましたときから音楽を聞いていないと生きていけないくらいなので、ちょうどいいですね。

Dal★Shabetははっきり言って大ヒットしたわけでもなく、失敗したわけでもない、ある意味でリスクのない、そんな感じのグループでした。

今となっては、それは私にとって幸運なことです。

DJとしての新たな挑戦がしやすかったからです。一度失敗したらどうしよう、人々がどう見るかどうしよう、そんな心配よりは、「だめならだめで」と動ける位置にあったので、多くの挑戦が続けられたのです。

私は本当に休まずに15年間仕事をしてきました。でも、その中で本当に小さな挑戦もあって、大きな挑戦もあって、とても多様な挑戦がありました。でも、そんな岐路において、私はいつも「一度やってみよう」と考えてきました。出来るか出来ないか、そういうことを悩んでいるのなら、まずは好きなことに身体ごと飛び込んでみる。その後、今の私にはかつての私が考えもしなかったような仕事への自負心が生まれています。

私はDJであれ、アイドルであれ、芸能界の仕事は運が重要な職業なんです。すべてが備わっていても、運が支えてくれなければだめな面があります。だから、誰かが成功すると、その人がやってきたすべてが「これでこそ、上手くいったんだ」と言います。一方で、誰かが上手くいく要素しか見当たらないコンテンツでも失敗することがあるじゃないですか。その場合は「お前はこれでも上手くいかなかったんだ」と言われます。

結局は、今の私が重要なのだと思います。今がどんな状況なのかによって、私の過去が正しかったのか間違っていたのかで評価されるからです。

人は過去も変えられる。私はそう思っています。

私自身、今の道を歩みながら感じたのは、ダルシャーベットというグループや私のソロとしての活動のすべてが今の私を形作っているということです。すべてがポジティブに感じられます。達成感も、挫折も、すべてが私の要素になっています。

「私は誰なのか」を見つけるためには、多くのことをやってみるしかないと思います。私が本当に好きなことは何で、嫌いなことは何なのかは、自分がやってみて分かるもの。他の人が教えてくれるものではないと思うのです。

(了)

初出=Yajoo!ニュースエキスパート